猫のツメ、ときどき腰痛。

偏った物欲と健康への偏愛。ときどき旅。ときどき腰痛。せまりくる高齢化社会を笑いながら生き抜くための情報発信ブログ。

いいひとをやめよう

ある人からわたしのことを「女スーダラ節人生」と言われたことがある。
 
好きなように生きていて、嫌なことは嫌と生理で否定する、苦労知らずの能天気に見えるらしい。

いやいや、何をいう、実は周囲の人間3人いれば3人分気を遣う、これでなかなかのストレス性人間なのである。

人の念を拾いやすいというか、人の気持ちに敏感になりすぎて疲れることしばしば。
そもそもストレス度の高い人間ほど、見かけは好きにやってるように見えるものである。だからストレスが溜まるんじゃないか。
さんざん気を遣ったあと、家に帰って鍵をかけた途端ほおおおおーっとため息をついて素っ裸になる(鎧を脱ぐがごとく)とやっとくつろげる。

 

かつて急性胃炎で救急車の世話になったときのこと。

あ、話は逸れるが救急車の救急隊員というのは何故、車を停めたまま悠然と、血圧を測ったりしながら苦しんでいる人を見下ろして「はい、お名前はー?」とか「お年はー?」とかゆっくり聞けるんだろう?
早く車を出してくれぇぇぇっと苦痛で海老のように体を折り曲げ、涙と汗まみれになりながら、聞かれた年齢を思わずサバよんだりするのは悲しい女の性。
(その後、病院で保険証を見た看護婦にばれる)

 

そうそう、その胃痙攣でやっと病院に運ばれた際、マスコミ好きでよく知られる院長に
「お仕事がさぞかし大変なのでしょう、お酒を飲んだり不規則な生活だからしょうがないですね〜」
何も話してないのに勝手に人の生活を決められ、うれしそうに「はいっ、あなたで35467人目です!」と言いながら胃カメラを操作し、撮った写真をプリントして「ああピントが少し…」などと言われる不幸な目にあったことがある。

 

結局胃炎のほかに「胆のうジスキネジー」という、3回聞き直してもまだ覚えがたい病名?を教えられ、薬をもらって治ったのだが、あまりお酒を飲まないわたしにとっては、それこそまさにストレス性のものではなかったのか?

 

さて、ではなぜ人間はストレスを感じるのだろう?

 
ストレスというやつは無意識に感じているもので、はい、こっちよストレスストレスと思って手招きしている人はあまりいない。
だいいちわたしはあまり精神的なストレスの自覚があまりない。ヘラヘラ笑いながら脳を通り越して蕁麻疹とか身体に直接あらわれるようだ。

 

じっくり自分を分析してわかったことは、あまり性格がよくないことが原因ではないかと。。よく優しい顔で毒リンゴを白雪姫に渡す継母みたいなことをする。

 

その歳になって何をいまさらという知人も多いかと思うが、自分でやっと自覚したのだからいいじゃないか。

 

そもそも人間は「人によく思われたい」という願望がココロの根底にある。

わたしの場合、あまりにも性格が悪いため、このまま世間様に対峙したのでは、とてもまともにはやっていけないだろう、ということを本能では感じ取っているのである。
したがって、社会でまともにやっていくには、少なからず自分を偽って見せなければならない。世を忍ぶ仮の姿「いい人」を演じなくてはならない。
本当は「なんであたくしが謝んなきゃいけないの」とか「あなたが悪いんでしょっ」と思っていても「ご迷惑おかけして申し訳ありません」ということになる。

 

これは世間常識というか、大人として当たり前な言動ではあるが、この「人によく思われたい」という欲求そのものが人にストレスをもたらしている根元なので、あれこれと自分の本望でないところの所作言動をしているうちに、知らぬ間に自分からストレスを溜め込むことになる。
だから人によく思われようとしない人はストレスとは無縁だ、という極論にも達する。
 

ある日、曽野綾子著の「いいひとをやめると楽になる」を読んでわたしはとても感銘をうけた。

 
要約すると、「善評」に比べて「悪評」は安定のいいものである。「善評」はそれを保つのにすさまじい努力がいる上にその努力を少しでも減らすと、評価が落ち、悪口を言われるが、「悪評」はちょっとやそっとではその評価は変わらないし、世間は最初からその人に期待しないから無理をせずにすむ。
そして、ちょっとでもいいことをすると妙に感心されたりするのである。
うーむ。
そのとおりだ。わたしは自分の生き方を教えられたようで、腑に落ちたように唸った。
昨今はいい人であることを執拗に求められてる気がする。倫理的に、道徳的に、CSR的に、とにかく善意が求められる。そして神対応などともてはやされる。もちろん人間である以上必要なことだが、なんだか少しだけ窮屈に感じているのも事実である。

 

それでも勇気がなくてグズグズ迷っているうちに背中を押す出来事が!

 

毎日残業で朝焼けを見ながら帰宅する日が続いていた時のこと。あれもこれもそれもあれも。親切と責任感と見栄と完璧主義がデスクで山積みになっていた。

会社で、とうとうわたしは下血した。ゲケツとは、お尻から血が出ることを言う。決して痔ではない。

あわててすぐさま会社の近くにあった病院に駆け込んだ。
そこで、まず点滴のように袋につるされた下剤をお尻から挿入され、全てを洗いざらい出すためには5分間トイレで我慢しろと言われ、ドアノブにしがみつき、嵐がきて…
そして、腸の中をカラッポにしたその後、紙でできたパンツを渡された。
紙パンツ。
それは、お尻の部分にまあるい穴が開いていた。こんにちは。

この病院で、以前わたしは胃カメラの最中に暴れた前科があったため、おびえるわたしに看護婦が鎮静剤を打ち、その紙パンツをはいて意識が朦朧とした中、実験動物のように寝かされ、まあるく開いた紙パンツの穴から腸カメラを挿入されたのだった。

そして全てが終わったあと、未だ意識が戻らず、からっぽのお腹がガスで膨れたままのわたしは、そこらへんのベッドに珍獣よろしく放置されていた。

時折、ぷー、ぷー、とお尻からガスが抜ける音が、夢の中で聞こえた。

 

時を同じくして顔のデカい上司が

「あー、部長、ひとり倒れましたから、早く替わりください、ヨロシク。」
と電話で話していた。

 

この屈辱的かつ快感?な事件以来、わたしは人によく思われなくてもいい開き直りの生き方を実践している。仕事の安請け合いもしない。出来ないことは出来ないと言う。レットミーフリー!自分を解放するのよ!

…おかげで評判は上々だ。
 

いいひとは 一度やめたら楽になる  一句。

 

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